イランのザリフ外相は5月26日、訪問先のイラクの首都バグダッドで、サウジアラビアなどの湾岸アラブ諸国に対し、互いの不可侵を宣言する条約の締結を提案していることを表明した[1]。アメリカとイランの対立が高まる中で、サウジを除くアラブ湾岸諸国とイランとの間での安全保障対話が活発化している。

 ペルシャ湾地域には、歴史的に大きな紛争を引き起こす潜在的な要因となる部族集団間の領有地をめぐる争いがあり、いくつもの歴史的な亀裂が存在している。この地域でみられている国家間の領土問題や宗教対立は、基本的にその亀裂が表面化したものといえる。これらに加え、イギリスの19世紀初頭から1968年の湾岸撤退発表までの関与、その後、アメリカの関与が、状況をさらに複雑にした。例えば、アメリカは冷戦下の1970年代、親ソビエト派であったイラクにサウジアラビアとイランを二本の支柱として対峙させる「二柱政策」により、湾岸アラブ諸国の軍備拡大を促し、同地域を域外の対立や競争に巻き込む状況を生じさせた。

 本稿では、緊張が高まっているペルシャ湾地域の安全保障問題を考えるにあたり、見落とされがちな歴史的な亀裂に注目することで、地域対立の複雑な要因への理解を深め、域内諸国が安全保障のための対話を開始している現状でそれによる緊張緩和の可能性を考える。

アラビア半島東岸の歴史的な亀裂

アラビア半島東岸の歴史的な亀裂

 現在、湾岸地域で表面化しているイランとサウジ・バーレーンとの対立は、しばしばシーア派対スンニー派、ペルシャ民族対アラブ民族という文脈で説明される。しかし、ペルシャ湾を挟む東と西の対立を歴史的に振り返れば異なる様相が見えてくる。それは、アラビア半島でのサウド家の拡大主義に対抗するために、湾岸地域の各部族が支援を求めて域外勢力と手を結ぶという構図である。

 現在はキング・ファハド・コーズウェー(海上橋)が架けられ、政治、経済、軍事など多元的に連帯しているサウジとバーレーン関係を例にとってみたい。歴史的に、サウド家の領有地の拡大は、武力をもってイスラム復古主義を掲げるワッハーブ派の伝道を行うことでなされてきた。その過程で、1809年にバーレーンがアブドゥルアズィーズ1世の支配下におかれ、同地の住民はイスラムの不信心者、異端者とみなされ、ワッハーブ派への改宗を迫られた。その際、バーレーンを治めていたハリーファ家は約10年間、統治力を失った後、マスカット(現在のオマーン)の首長、および対岸のペルシャのシーラーズの太守の支援を得て、再び同地に戻ることができた。

 このようにワッハーブ主義を標榜するサウド家が領有地を膨張させていく中で、周辺の首長家との間では軋轢が生まれていった。しかし、そこで起きていた領土問題に、20世紀初頭のイギリス・トルコ協商などを通じてイギリスが関与するようになると、サウド家と周辺首長家の対立の構図は潜在化していった[2]。

アメリカの二柱政策が顕在化させた歴史的な亀裂

 湾岸地域に関与していたイギリスにとって、同地域へのロシアおよびドイツの進出は懸念材料であった。このため、イギリスは湾岸地域の首長たちに、イギリスの同意なしにはいかなる協定も結べない内容の排他条約を締結させた[3]。

 ロシアがクウェートの領土に関心を高めるなか、イギリスは1913年にトルコと協商に調印する。この協商が元でクウェート・サウジ間の国境が不明確になり両国の対立が引き起こされた。1922年、両国はイギリスの仲介によりウケール議定書に調印し中立地帯が設定されたが、問題が解決されたといえるのは1970年に分割協定が調印されるまで待たねばならなかった。また、イギリスはトルコとの協商で、イラク・クウェート間の国境線も定めている。この国境線の設定は、1990年にイラクのサダム・フセイン大統領のクウェート侵攻を引き起こすことになる。これらの事例をはじめ、湾岸地域で繰り広げられたイギリスの列強との競争により、湾岸地域では領土をめぐる新たな亀裂が生まれていった。

 1971年、イギリスはスエズ以東のプレゼンスを終了し、代わってアメリカが湾岸地域に関わるようになる。冷戦下の1970年代、湾岸諸国が石油収入を拡大したことは、アメリカにとっても対ソ連略の上でプラスとなった。

アメリカの二柱政策が顕在化させた歴史的な亀裂

 アメリカの政策はサウジとイランという2つの柱を軍事的に強化し、石油資源の確保を図るというものであったが、そこには問題も生じていた。中東紛争の関係でアメリカは、イスラエルと対立するサウジへの武器取引を制限する一方、非アラブのイランへの軍事支援を強化した。このため、イランは域内での影響力を高め、バーレーンの領有権を主張するまでになっていった。1783年にイギリスがバーレーンと交わした協定を無効としてバーレーンの返還を要求するイランの主張は[4]、歴史的にバーレーンを支配下に置いていたサウド家にとって許しがたいものであった。こうしてアメリカの「二柱政策」は歴史的な亀裂を顕在化させた。その後、アメリカは、イラン革命後のイランと湾岸戦争後のイラクを脅威とみなして両国と直接対峙する「二重封じ込め」へと政策を転換した。この政策に基づきアメリカは、サウジなどと協力しペルシャ湾地域での緊急展開能力を高め、同地域の安全確保をはかるようになる。

湾岸の緊張緩和に向けて動く域内諸国

 現在のペルシャ湾の安全保障問題の主因といえるアメリカの対イラン強硬策に対し、国際社会、とりわけ域内諸国はさまざまな対策をとりはじめている。 エネルギーの供給面では、(1)サウジの東西を結ぶパイプラインの活用(輸送能力は日量500万バーレル)、(2)クウェートとカタールからイラクを経由しトルコに至るパイプラインの活用、(3)UAEのフジャイラ港からの積み出しなどが検討されている[5]。

 軍事面では、7月31日にバーレーンでトランプ政権がペルシャ湾、オマーン湾、イエメン沖での民間船舶の安全航行の確保のため、有志連合の結成に向けて説明会を開催したが、域内ではサウジ、バーレーン、UAE、域外ではイギリスや韓国など限られた国からしか賛同を得られていない。一方、地域の安全保障確保に向けた地域諸国間の対話は動き始めている。報じられているだけでも、(1)7月27日のオマーンのアラウィ外相のイラン訪問[6]、(2)7月31日のUAEとイランとの間のペルシャ湾に関する合同沿岸警備会議の開催(開催地:テヘラン)[7]、(3)8月8日のイランのハタミ国防軍事相とカタール、クウェート、オマーンの各国防省との電話会談[8]などがある。

戦時作戦統制権返還を前に国連軍司令部機能強化の動き

 グローバル化が進み、国益や地域益が複雑に絡み合う多様な問題が生じている中、ペルシャ湾岸地域の部族集団の指導者たちは難しい意思決定を迫られている。そのなかで、聖地エルサレム問題とパレスチナの大義に関わる問題では、従来の反イスラエル姿勢が貫かれている[9]。一方で、これらの問題を黙認し、国益を優先させてアメリカとイスラエルとの関係を積極的に推進しようとするサウジのムハンマド皇太子の存在は、歴史的なサウド家の勢力拡大を知るサウジ周辺のアラブの首長家の人々にとって大きな懸念となっている。なぜなら、湾岸アラブ諸国のなかでアメリカやイスラエルとの関係強化を進めているのはサウジだけではないが、サウジと両国との関係強化により、拡張主義的なサウジの勢力が強まることが地域の安全保障への懸念事項となるからだ。

 また、イギリスとアメリカの政策の失敗の教訓から、大国の影響力の拡大への警戒感も地域諸国にある。こういった懸念の表れとして、域内での安全保障に向けての対話を開始している。国際社会は、この機を逃すことなく、安全保障会議や2国間の不可侵条約の締結を促すための環境整備を促進させるべきであろう。中長期的にみれば、そうした外交努力がペルシャ湾の緊張緩和と安全保障にとって必要なことである。

(2019/08/28)

脚注

  1. 1 「イラン、近隣国に不可侵提案=対米緊張緩和も模索」、『時事通信 JIJI.COM』、2019年5月26日。
  2. 2 石田進、『ペルシャ・アラビア湾諸国間の領土紛争の研究』、三省堂、2003年、64-88頁。
  3. 3 バーレーンとは1880年、オマーンとは1891年、かつて休戦海岸と呼ばれた、現在のアラブ首長国連邦の各首長とは1892年以降順次、クウェートとは1899年、カタールとは1916年に結んでいる。石田進、前掲書、118-128頁。
  4. 4 1956年4月、イランの外相がテヘラン駐在のイギリス大使に、バーレーンの返還を要求する覚書を手交している。
  5. 5 「原油の陸上輸送4割増、サウジ検討 ホルムズ迂回へ」『日本経済新聞電子版』、2019年7月29日。
  6. 6 Aziz El Yaakoubi, “Oman's top diplomat in Iran talks amid mounting Gulf tensions,” Reuters, July 27, 2019.
  7. 7 “UAE Ministry of Foreign Affairs satisfied with results of coast guards meeting in Tehran,” Gulf News, July 31, 2019.
  8. 8 “Iran's defense chief says US coalition to cause regional insecurity,” IRNA, August 8, 2019.
  9. 9 トランプ政権のエルサレムの首都認定、ゴラン高原の主権容認については、3月31日の第30回アラブ首脳会議、および5月31日の第14回イスラム協力機構(OIC)首脳会議が反対の姿勢を示す声明文を出している。
    “At Tunis summit, Arab leaders condemn US decision on Golan,” The Arab Weekly, March 31, 2019.
    Nayera Abdallah, “OIC summit condemns any decision to recognise Jerusalem as Israel's capital,” Reuters, June 1, 2019.